2015年8月13日木曜日

シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダのお気に入りのバジャン

スイスへのダルシャンツアーへ向かう前に、
シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダはシュリー・ピータ・ニラヤのテンプルへ立ち寄り
帰依者たちと一緒にバジャンを歌いました。

夕方を美しい数曲のバジャンが飾りました。
まずナラヤナ・バジャ・ナラヤン(Atma Bhog Bhajan Book p.126)を歌い終わると
その神聖な歌詞を説明してくれました。




以下スワミジの言葉:

このバジャンの歌詞はとても素晴らしいです。

“タナ マナ マンジャナ、ヴァ ヤ ンジャナ、アスラ ニンダナ ナラヤン”

意味は、
“肉体とマインドを支えるお方、苦悩と恐れを消し去るお方、帰依者の面倒を見、
マインドに平安をもたらし、すべての悪事と悪魔を破壊するお方、それは主ナラヤナである。”

これらの悪魔とは外側のことを言っているのではありません。
カリ・ユガにおいてはそれは内側、つまり人のマイドの中にあります。
マインドが堕落しているからです。
マインドが外側に向かってそれはすごい速さで走っているため
堕落し、それですべてが終わってしまっているのです。
そしてここでは、ナラヤナだけが救うことができる、他の誰にもできないと言っています。
ナラヤナの御名だけ、“ナラヤナ ジョ ナラヤン”、
ナラヤナの御名を唱えることによってだけあなたは救われます。
ナラヤナの御名にすべて委ねることによってのみ、あなたは平安を得ます。

次に
“ジャバ ジャバ ピーダー パーデ クタ パル、バール バール アヴァターラ キヤーーー”

これはギータからの引用です。
バガヴァン・クリシュナは言いましたね?
“いつであれアダルマが生じる時、私は化身する。私は顕現する。
幾度も、幾度も私は異なった姿をまとい、帰依者の罪を破壊し、勇気と忍耐と調和を与え、苦難から彼らを引き離し、救うだろう。”
(聴衆盛り上がり喝采)

“パーパ ミターカラ ディーラ ディカーカラ、マーナヴァ コー オッダーラ キヤ”

そう、時々、いつもではなくて、時々、バクタに献身がある時、
バクタが救われる準備ができている時、彼は地球に顕現し彼らを救います。
この部分、よく見なさい。ナラヤナの顕現は頻繁に起こるわけではありません。
それはとても稀なことです。
バクタがある一定のレヴェルに到達した時だけ、世界が本当に彼を必要とする時だけ
彼は顕現しやってくるでしょう。たった1つの魂のためにさえ、そのバクタを救うためならやってきます。
彼らの罪を取り除き、彼らが本当は誰であるか、
どこからやってきて、何に至らなくてはいけないかを思い出させます。

“クンジャ ヴィハーリ、クリシュナ ムラーリー、ナラヤン、ヘー ギリダーリ ナーラーヤン”

人々は問います。何故私はギリダーリを愛しているのだろう?
ギリダーリはバクタを保護します。
ゴーヴァルダンの小指で持ち上げた時、彼は自分のためそれをしたのではありません。
荷物をまとめて天国へ帰ってしまうことができたのですから。
(聴衆笑い)
いいえ、彼はバクタのため、すべてのブリジバーシのためにやったのです。
そのために彼は化身しました。
“クンジャ ヴィハーリ、クリシュナ ムラーリ、リーラ ダーリ”
と言われるのはそのためです。彼と一緒にリーラも楽しむことができるようにと。

というのもバガヴァンのこのリーラはそう簡単に得られるものではありません。
このタクールのリーラは非常に稀です。
賢い者はそれを楽しむでしょう。賢くない者はそれを無視するでしょう。
それが彼がリーラダーリと呼ばれる理由です。
リーラダーリはこの切望をも意味しています。
バクタが彼をそのように切望するとき、彼はやってくるでしょう。

さて、私たちはゴーピー・ギータについて話していましたね?
ゴーピーたちの話は皆良く知っていますね?
どれほど彼らがクリシュナを愛していたか、
なぜクリシュナは彼らのためにあの場所であの時代、あの瞬間に顕現したのか、
非常に甘美なストーリーです。
この節
“ジャバ ジャバ ピーダー パーデ クタ パル、バール バール アヴァターラ キヤーーー”
これが意味するのは、彼がやってくるのは、自分のためではなく、バクタのためであるという意味です。
帰依者のために、彼はやってきて、姿を現し、彼らのレヴェルまで自らを落とすのです。
ここでギリダーリの優しさ、神の甘美さ、いかに彼が素晴らしい存在かに気付かねばなりません。



シュリ・ラームの時代、ラーマは森に追放されましたね?
森に追放されていた時・・・この話はクロアチアでしましたね?覚えていますか?
森での追放時、それはたくさんのリシたちが瞑想していました。深い瞑想を。サーダナに励んでいました。
そして主ラーマが通りかかるのを彼らは見ました。
主ラーマを見ると彼らは気付きを得ました。
「私たちは何のために苦行をしているのか?このすべてはいったい何のためだというのか?」

同じように、私たちはたくさんの富を蓄えます。世界からかき集めます。
そしていつ死がやってくるのかを知っていますか?知らないでしょう?
一瞬にしてすべてを奪っていきます。
ならあなたのものとは一体何なのでしょう?何もありません!
ここにあるものはすべてここに残ります。
それがギータにも言われていることです。
“あなたは何も持たずに生まれてきた。あなたは何も持たずに去っていくだろう。”
あなたがここで手に入れたものは、ここに残るでしょう。
あなたが生まれた唯一の理由は、主に気づくためです。
あなたが生まれた唯一の理由は、彼を手に入れるため、彼とともにあるためです。



そう、ここで偉大なヨギであるリシたちは瞑想していたわけです。
そしてラクシュマンと歩く主ラーマを見ました。
神の目を持つ彼らですから、彼がナラヤナの顕現であることが分かりました。
彼らは言いました。
「私たちの苦行、彼を到達するためにやっているというのに、彼は人間として歩いている。」
“ジャバ ジャバ ピーダー パーデ クタ パル、バール バール アヴァターラ キヤーーー”
分かりますね?
“パーパ ミターカラ ディーラ ディカーカラ、・・・”
方法を示すために、道を示すために。
“・・・マーナヴァ コー オッダーラ キヤ”
この意味は、彼は姿を纏う、人間の姿を纏う、という意味です。

そう、そしてその姿をみたリシたちは言いました。
「なぜ私たちは瞑想しているのか?何をこんな風に座っているのか?」
その瞬間彼らは言いました。
「女性に生まれてくるべきだった!」

(聴衆笑い)

彼を愛したいというバーヴが彼らの内側で目覚めました。
するとどうでしょう?自動的に何が起こりましたか?
そのバーヴゆえ、その湧き起こった感情ゆえ、ラーマに熱烈に恋してしまったのです。
2人のアヴァターがいて、2人は同じ1つの主でもその性質は異なります。
クリシュナはリーラ・ダーリ、ラーマはダルマ・ダーリ。
大きな違いです。別の人格です。知っているでしょう?
(聴衆笑い)
彼はとても高潔であり、とても・・・それがラーマです。
一方クリシュナは、リシが寄ってくるのを見ては言うでしょう。
「イェーイ!さお、おいで。楽しもう!」
(聴衆笑い)



そう。それでリシや賢者、サドゥがラーマを見ました。
バーヴが内側に起こり自ら問いました。
「ああ、なぜ私たちはただの男なのか?」
その時、彼らは気付きを得ました。
すべての創造物は主に対して女性的であるということを。
創造されるすべてのものは、女性です。
創造に男性は存在しません。女性だけです。
唯一の男性は至高なる主、彼だけです。
ですから、リシたちがその真実に気付いた時、彼らはそのような願いを持ったのです。

そして、彼らの一部がそのような狂おしいバーヴからラーマに走り寄ってきて、
(聴衆笑い)
ラーマはそれを見ると・・・彼らは集団です、走ってきます・・・
ラクシュマナを前に押して言いました。「頼む。守ってくれ!」
(聴衆笑い)

ラクシュマン、知っていますね?ラクシュマンはアディシェーシュです。
とても強靭な彼がそこに立ちつくしました。
彼らは言いました。「なぜ私たちを止めるのか?主のもとへ行きたいのに!」
そして背後からラーマは言いました。「サドゥージたち!」つまり
「賢者たちよ、今生においてあなたたちを私の側に置いてあげることはできない。
今生において、あなたたちはサドゥーである。あなたたちは森の住民である。
今生においては私の近くにはいられない。しかし1つ約束しよう。
私が次に化身する時、あなたたち全員の願いを叶えよう。
私はヴリンダーヴァンに生まれる。そこに来なさい。
ゴーピーとしてそこに生まれてきなさい。
あなたたちの願いは成就することでしょう。」
そしてサドゥーたちは主を手に入れるための苦行をしました。
主が彼らの苦行をいかに簡単なものとしたか分かるでしょう。

あなたには自分の役割が行えます。自分の最大限を行えます。
あなたのサーダナ、それはあなたがしなくてはいけないことです。
しかし、恩寵は主自身から与えられるものです。
そしてサーダナがあなたにその恩寵を受け取らせてくれます。
何よりも上位であるもの、分かりますね、そのクリパです。

時折彼は帰依者を救うため、苦しみを消し去るため顕現すると言われるのはそういう理由です。
その苦しみとは何でしょう?マインドの苦しみです。それは多様な苦しみです。

“マツヤ クールマ ヴァラーハ ナラハリ ヴァーマナ コー アヴァターラ キヤーーー”
主はマツヤ、クールマ、ヴァラーハ、ナラシンハ、ヴァーマナとして化身する。
これらの姿はナラヤナの異なった側面を表しています。
“パラシュラーマ アウル ラーマ クリシュナ”
パラシュラーム、ラーム、クリシュナ。
最初のすべてのアヴァター:マルヤ、クールマ、ヴァラーハ、ナラシンハ、ヴァーマナ
は世界に平和をもたらすためにやってきました。
一方、パラシュラーム、ラーム、クリシュナは、
プライドとエゴを破壊するためにやってきました。
悪を働く者を破壊するために顕現しました。
知っているでしょう?プライドが起こると、自分がとても重要な存在であると思います。
どうですか?

聴衆:はい。

まるで自分はあらゆることの達人であるかのように思います。
いつも自分を前に前に出さなくては気がすまないのです。

聴衆:はい。

しかしそれがどこへと導いてくれるでしょう?
どこへも導いてはくれません。
パラシュラーム、ラーム、クリシュナを見てみると
かれらはそういったものの現れを破壊するためにやってきたのです。
プライドであれ、傲慢さであり、そういったもののすべてを破壊するためです。
ここで重要なことに気づいて下さい。
“ラーマ クリシュナ バナ、ドゥシュトー コー サムハーラ キヤー”
マスターはまたプライドや傲慢さを破壊するために姿をとって現れるということです。

ジャナ セ マナ コー サジャナ バナーカラ、クティ マルガ ディーラ ディヤー”
意味は
マインドを落ち着かせ、マインドを邪悪な想念から逸らすためには、
主の栄光を歌うのが唯一の方法である。
そして主の栄光を歌うことが、バクティ・マルガ、献身の道へと導きます。
神へと至るにはこれ以外の道はありません。

ギータの中でクリシュナは語っています。
サトヴィック、タマシック、ラジャシックの3つの側面、3つの道があると。
3つの道とは何でしたか?
3つの道です。3つのグナの3つの形態・・・グナではなくて・・・
ごめん!何を言っているんだ私?そう、3つのヨ-ーガ。
彼は3つ挙げています。
ギャーナ・ヨーガ、カルマヨーガ、ラージャヨーガ。
しかし彼はラージャヨーガから1つ分離させています。
彼は言いました。
「この3つを超えて、私はバクティ・ヨーガに重きを置く。
私にとって最も愛しいものである。
私にとってはそれが最も吉兆である。
なぜならバクティ・ヨーガは比べて非常に容易であるからだ。」



このバジャンにおいて、
“・・・クティ マルガ ディーラ ディヤー”
と歌われていますが、主の御名を歌うことによって
あなたは内側に献身、つまりバクティを呼び起こしています。

“ハーリ ジャナ セ ヴァ サーガラ コー”
シュリ・ハリの御名だけが人をサムサーラから救済する、人をこの幻想から導き出す。
シュリ・ナラヤナの御名を唱えることによってのみ、
人は迷妄から自由になり、生と死のサイクルから解放される。

“パーラナ ビー シラーディヤー” 
生と死の海を渡りきるだろう。

そして
“ナーラーヤナ ハリ ナーラーヤン、ナーラーヤナ ジョ ナーラーヤン”
ナラヤナの御名を唱えることによってのみ、これが可能となる。他の何もできない。
これが私の大好きなバジャンです。

良いですね。理解できましたか?

聴衆:はい!

本当に?

聴衆:いいえ!はい!

良いでしょう。人生をかけて理解すれば良いのですから。

(聴衆笑い)


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