2015年7月30日木曜日

バクティ・マルガ新時代の吉兆な牛のセヴァ

バクティ・マルガの牛のミルクを使った初めての吉兆なアビシェーカムの準備が進む中
シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダが帰依者たちに話している。
7月17日の金曜日の夜、シュリ・ヤントラ講習に参加するため
200名以上のシュリ・スワミ・ヴィシュワナンダの帰依者たちがシュリー・ピータ・ニラヤに集いました。
そんな彼らに予期せぬ祝福がもたらされました。
スワミジの御足へのアビシェーカムに出席できたのです。


このイベントは予告なしに始まりました。夜の10時を回った頃
シュリー・ピータ・ニラヤのライト・ホールにおいて
人々はシュリ・スワミ・ヴィシュワナンダの周囲に集いました。
このアビシェーカムの特異な点は、新しくバクティ・マルガの一員となった
2匹の牛のミルクを使って行われたことです。
9月に出産を控えた彼らの産前最後の搾乳でした。


この2匹の牛は、バクティ・マルガ10周年記念祭第1日目の朝に
シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダに贈与されました。
シュリー・ピータ・ニラヤの玄関前にいた数百人の人々は
牛たちの突然の登場に驚いていました。
牛たちはロビーへと入っていきました。



シュリー・ピータ・ニラヤ玄関口で待つシュリ・スワミ・ヴィシュワナンダ。
2匹の牛たちを迎え、祝福を与える前の様子。
10周年記念祭と同時にバクティ・マルガ乳牛セヴァが開始されたことはとても縁起の良いことです。
ヒンドゥー教の伝統における牛の重要性、
とりわけヴァイシュナヴァ(ヴィシュヌ派)においてその象徴するものを思い起こしてみれば、
これがいかに吉兆なことであるか知ることができます。


ゴー・ダーン

“ゴー”は“牛”を、“ダーン”は寄付を意味します。
牛を寄付することの縁起の良さは古代より認識されていました。
とりわけ王たちはアシュラムを健全に運営できるようにとブラーミンに牛を贈与しました。
牛たちは多様なものを提供してくれます。ミルク、ヨーグルト、ギー、肥料となる糞尿。
プージャ、アビシェーカム、ヤグナのようなヒンドゥー教の礼拝の儀式を行うためにそれらは必要でした。
ヴァイシュナーヴァでは、グルに行える寄付のうち牛の寄付は2番目に優れているとされています。
(1番目は自らの一切を全託すること。)
そしてその恩恵は果てしないと言われます。


10周年記念祭の最初の朝、2匹の牛にプージャを行う
シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダ
ゴー・マータ

“ゴー”は牛、“マータ”は“母”を意味します。
ヒンドゥーの聖典において、牛はデーヴィー、母なる女神、常に与え続ける供給者であり、
すべてへと提供し、すべての生き物の生命を維持していると言われています。
ヒンドゥー教の伝統においては、すべての牛をカーマデーヌ(またの名をスラビー)の地球上での姿と考えています。
奇跡の“豊潤の牛”、“願いを叶える牛”、または“すべての牛の母”とも呼ばれ、乳海撹拌によって生じました。
娘のナンディニと一緒に描写されるのが通常で、富と繁栄の象徴とされています。


牛は優しさ、母性、無私の奉仕、受け入れる愛、寛容さ、強さ、忍耐の象徴であるとされています。
牛から出る牛乳や乳製品は重要な栄養分です。
牛の糞は燃料になるだけでなく、肥料や殺菌剤としても機能します。
牛の尿は医療目的に使えます。
牛を崇めることによって、人々はそれらの性質を育むための霊感を受けます。


j金曜の午後、アビシェーカムの前にバクティ・マルガの牛舎を訪れる
シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダ
主クリシュナ:ヴリンダーヴァンの牛飼い

ヴリンダーヴァンで巻き起こったマハ・ヴィシュヌの第8の化身、主クリシュナの甘美な気晴らし。
そこで彼は牛飼いの訳を演じました。
彼の持つゴーヴィンダ、ゴーパーラの名は、そのバラ・リーラと関連しています。

ゴーヴィンダ:“ゴー”は“牛”、“大地”、“感覚”を意味し、“ヴィンダ”は“楽しみを与える”という意味です。
主クリシュナが現れる時は、いつであれどこであれ、すべてが満たされ、喜ばしいものとなります。

ゴーパーラ:“ゴー”は“牛”、“大地”、“感覚”を意味し、“パラ”は“守護者”や“導き”を意味します。
私たちの感覚を捕らえ、そして魂を守り最終目的地へと導く存在です。


シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダのような真のサットグルは主クリシュナの化身そのものです。
サット・グル、最高神、至高の愛、これらに相違はありません。
ゆえにサット・グルはまぎれもないゴーヴィンダ、ゴーパーラなのです。

昨年行われたシュリーマド・バガヴァッド・ギータ講習において
スワミジはこのことを私たちに語ってくれました。
第4章7節の解説からの一部抜粋です。

「肉体のすべての器官は、足に表現されています。
リフレクソロジーにおいては、足が存在全体を表現していることが示されています。
ですからどこへ行こうとも、私たちはマスターの御足に触れます。
私たちはマスターの御足に集中します。マスターの御足に全託します。」

「この節において主はアルジュナに対して語りました。
私はいかなる姿を通しても顕現することができる。
聖典はどこで、いつ私が顕現するかを知らない。
しかし全世界が滅びる危険が生じる時、私は必ず顕現する。
そして人が崩壊する危険が生じる時、私はグルの姿をとって顕現する。
人を無知から解放する助けとなるために。」

シュリ・スワミ・ヴィシュワナンダのシュリーマド・バガヴァッド・ギータ・バシャの出版本は
つい最近印刷工程まで進み、グルプールニマまでにはショップに並びます!
また、シュリーマド・バガヴァッド・ギータの108の動画についても、グルプールニマまでの間にアップしていきます。

動画リストはこちらから